映画「ドライブ・マイ・カー」つまらない? なぜ韓国へ、ラストの意味

映画『ドライブ・マイ・カー』は、2021年・第74回カンヌ国際映画祭で日本映画としては初となる脚本賞を受賞した作品です。

他にも国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞の独立賞も受賞し、日本の作品では62年ぶりとなる、ゴールデン・グローブ賞を受賞し話題になりました。

それに伴い、追加上映されされている映画館が多い、映画「ドライブ・マイ・カー」は、原作が 村上春樹の短編集「女のいない男たち」の「ドライブ・マイ・カー」「シェラザード」「木野」のエピソードを一つの映画にしています。

約3時間の作品、ということもあり、見る人を選ぶ作品の印象を持っている方も多いんではないでしょうか?

今回はそんな映画についてネタバレ、感想と考察を書いて行きます。

(アイキャッチ画像出典元https://www.cinemacafe.net/movies/31162/image/514533/)

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目次

作品概要

キャスト

西島秀俊
三浦透子
霧島れいか
岡田将生
パク・ユリム
ジン・デヨン
ソニア・ユアン

西島秀俊さんは、映画やドラマで大人気の俳優さんです。最近では、「シェフは名探偵」でも主演されています。
この映画では、妻を亡くして失意の中、彼女の秘密をたどっていくという、西島さんの暗めの重い演技が見どころです。

三浦透子さんは、歌手・女優として活躍されています。歌手としては「天気の子」の主題歌にも参加され、2019年の紅白歌合戦にも出場しとてもきれいな歌声でした。女優としては「悪の経典」や「鈴木先生」に出演されています。
この映画では、秘密を抱えた、主人公の専属ドライバーの役です。おとなしい役のイメージがある三浦透子さんは、どこか影がある今回の役も、とても自然で口コミなどでも高く評価されています。

岡田将生さんは今回の映画では、あまりイメージに無い、少しクズ俳優の役で出演されています。口コミでは岡田将生さんの演技が体当たりで生々しい人間味あふれるキャラクター、難しい役どころを見事に演じていた等、高く評価されています。

他にも韓国で活躍されている俳優さんが、多く出演されています。

あらすじ

家福(西島秀俊)は舞台演出家。音(霧島れいか)は、元俳優で今は売れっ子の脚本家です。彼女は、夫に脚本の草案である物語を語って聞かせるのですが、翌日、目覚めると記憶が曖昧になっており、夫から改めて物語を聞き、それを脚本に仕上げるということを習慣にしていました。

ある日、出張がキャンセルされて家に戻った家福は、音が俳優の高槻(岡田将生)と浮気している現場を目撃してしまいます。何も見なかった振りを装う家福。音は何かを話したい素振りを見せますが、家福の留守中に自宅で突然倒れ、死んでしまいます。

2年後。家福は国際演劇祭に、多国籍多言語で行われる「ワーニャ伯父さん」の舞台の演出で招待され、広島にやって来ます。滞在する家と稽古場の往復のため、23歳の女性ドライバー、みさき(三浦透子)が雇われます。最初は渋っていましたが、みさきの運転は滑らかで、家福もその腕を認めざるを得ません。演劇のオーディションで、家福は高槻に再会します…。

高槻との微妙な関係を通して、妻の本心、妻への自分自身の想いを探り続けているようにも見える、家福はみさきとも徐々に言葉を交わすようになり、家福の閉ざされていた心の扉が、同じように心を閉ざして生きてきたみさきとの対話によって開かれていきます。

映画の見どころ

主人公の愛車サーブ900ターボ

画像出典元https://moviewalker.jp/mv72095/gallery/4/

この映画は、車のシーンがとても長いところが特徴です。

主人公の愛車のサーブ900ターボは物語に沿って、ビルが立ち並ぶ東京から美しい海が広がる広島、一面の雪景色がインパクトを残す北海道まで、車は物語に大きな広がりをもたらしてくれます。

また会話劇が得意な監督の作品だけあって、車内での会話がとても印象深いです。

実は、この”赤色のサーブ900ターボ”、原作では”黄色のサーブ900コンバーティブル”というオープンカーです。

この違いを試写会で監督は「日本の風景に埋もれてしまわないように」という理由と共に「音声にノイズが入らないように」とも答えており、その発言からも本作における会話シーンの重要性がわかります。

舞台俳優の家福は、妻が声を吹き込んだカセットテープでセリフを暗記します、その様子は、夫婦の会話が行われているようで妻の亡くなったあとも、俳優活動から距離を置くようになった家福だが、運転中のルーティンワークとしてセリフの暗記をやめることは出来ません。疑念を残して去った妻と、何とかして繋がりを保ちたい彼の迷いが垣間見えるような印象です。

ラストでは、北海道に二人が着いたあたりで、一気に音がなくなって、目的地につく少し前に車のドアが開くところで音がまた戻ってくるというシーンがありました。

このシーン、ドアを開けた時に家福が何かを捨てていたようにも見えますが、これは一体何を表しているのでしょうか。

つまり家福本人が沈黙を葬っているようにも見えます。では、その沈黙が何を示すかというと、おそらくは彼の今まで溜め込んだものでしょう。

音が死んだことに決着をつけたという風にも取れるのです。この地に着いたことがその区切りになるということですね。
北海道に来た時、それを深く感じたのではないかと思います。

妻が死んだことを受け入れ、勇気を持って知るべきだった事実があったこともそれはそれとして受け止め、その上で彼女のその全てを理解し次に向かっていくというそのための間だったのではないかと思うのです。

そしてその後に家福とみさきの間には親密なものが生まれます。

作中の舞台「ワーニャ爺さん」

画像出典元https://moviewalker.jp/mv72095/gallery/8/

脚本家である家福が、妻が亡くなった2年後「ワーニャ伯父さん」の演出を努めます。

作中は広島での「ワーニャ伯父さん」の上演に向けて、オーディションから脚本の読み合わせ、立ち稽古と、順を追って準備していく様子が丁寧に描がかれ、映画では2つの作品を同時に見ているような感覚になります。

家福の主催する舞台はかなり特殊で、多国籍の演者が入り混じっています。
セリフはそれぞれの母国語で話され、日本語、英語、中国語、韓国語、更に韓国手話まで加わって観客は舞台上のスクリーンに表示された字幕で意味を読み取ることになります。

互いに相手の言葉の意味が分からない状態で、セリフのやり取りを繰り返していく。

特に、家福は最初、感情を込めずにひたすら脚本を読ませるという手法を取ります。これは、濱口竜介監督が実際に行っている演出法らしいです。

ここで2年前に妻と浮気をしていた高槻が参加します。彼はテレビドラマで売れっ子になりましたが、未成年の女性と関係したことを週刊誌にすっぱ抜かれ、事務所も退所し、役者として崖っぷちにいました。

そしてここに、演劇祭のスタッフである韓国出身のユンス(ジン・デヨン)や、家福の舞台に出演するユンスの妻ユナ(パク・ユリム)が絡んでいく。ユナは韓国手話を使って他者とコミュニケーションを図ります。

対話しているのに、意味は通じていない。互いに相手の言葉をただ音として聞いて、自分の言葉を一方的に発している。

コミュニケーションを支えるのは本来は言葉であるはずだけど、本作ではそれが解体されていきます。

それでも不思議と、練習が進んでいって感情を込めた立ち稽古になってくると、異言語の会話を通して、互いの心が通じているように見える瞬間が、現れてきます。

言葉による対話を一旦解体することで、言葉に頼らない形の表現を役者から引き出す…というのが、家福の(そして濱口監督の)演出手法であるようです。

この流れは原作にはない、映画独自のものです。

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みさきはなぜ韓国へ

画像出典元https://moviewalker.jp/mv72095/gallery/

稽古の帰り、ユンスが家福を自宅に誘い妻のユナ、みさきと4人で食卓を囲むシーンがあります。

穏やかな時間が過ぎ、ユンスがみさきの運転はどうかと話をふると、家福は「こんなに心地いいのは初めて。彼女にドライバーを頼んでよかったと思います」と答えました。

みさきは表情をほとんど変えませんでしたが、急に立ち上がり、ユンスたちの飼い犬のところに行き、頭をなで始めました。

みさきは小さい時、車中で眠りたがる母を起こすような運転をすれば背中を蹴られたこと、5年前、18才になって免許が取れた年、実家が土砂崩れに遭い、自分は這い出したけれど母が生き埋めになって死んだこと。車に乗って飛び出し、広島に来たところで車が故障したこと、生きるためにゴミ収集の運転者になったことなどをみさきは淡々と語りました。

映画のラストシーンは、みんながマスクし、コロナ禍を思わせる状況の中、韓国で赤い車を走らせ、助手席にはユンスの飼い犬?かそれと同じ犬種の犬と一緒にいるみさきの様子が描かれます。

これがどういう状況なのか、説明は一切されません。家福の車を運転しているので、彼女が引き続き家福の運転手を続けているのでしょうか。

みさきは一人でスーパーに来て買い物しているので、ただの運転手というよりもっと近い関係になっているのかもしれません。

何年かあとの事で、家福の運転手はしていないのかもしれません。

ネットでの考察

映画を見た人の中でもいろいろな考察がされています。

二人は結婚して、あの韓国人夫妻とワンちゃんと仲良く暮らしてるのだと感じました。

作品の中では説明されていませんが、僕は、彼女のお母さんが、差別に苦しんだ在日韓国人だったのかな、と思いました。
或は、被差別部落の出身だったのかもしれませんが、村から離れたところにポツンと住んでいたし、精神を患っていたこと以外に、何か別の理由があったけれどのかもしれない。
お母さんが在日韓国人だったとすると、みさきはお母さんを苦しめたその事実を自分は受け入れて韓国に発ったのかもしれないし、被差別部落の出身だとすると、お母さんを苦しめた日本を捨てて別の国に行ったのかもしれない。

ナンバーが韓国のものになっていて、
ハングルも理解していたようなので何年か後だと
推察しました。
犬は全く違う犬種でしたのでみさきが新たに韓国
で飼い始めた犬だと思います。
家福から車を譲り受け、母の呪縛から解かれた
みさきが頬の傷も治し、新天地・韓国で幸せに生活を
していると思いました。

家福がみさきに赤い車をプレゼントしたのだと予想… 家福は、日本で頑張っているのだ…と だから、あんな幸せな笑顔になれるかな

ラストに関しては見た人に委ねる感じで、いろいろな解釈が出来ます。

2人のその後は、原作小説にはないラストですが、暗い過去を持つ人たちが自分の人生を見つめ直して絶望の淵から這い上がる力強さを感じるラストだと思います。

まとめ

「映画を通じてどんなことを伝えたいですか?」
という問いに、濱口竜介監督は、

こういうことを伝えたいというのは、特にないというのが正直なところです。体験をしてほしい、とは思っています。そこそこ長い映画ですけれど、その時間をずっと楽しめるように作っていますので、乗り物に乗るように映画を見ていただけたらいいかな。その時に感じていることがすべて正しいことだと思うので、乗り物に乗るような感じで見にきていただけたらと思います。

(地球の歩き方編集室インタビューより)

原作では書かれていない、映画だからこそできる空気感。

北海道の無音と、ラストの手話で一言も発さず終わるところ。タバコを車の上の窓から掲げるシーン、ごみ焼却施設で、「ちょっと雪みたいじゃないですか」というセリフの何とも言えない空気とか。ワンシーンワンシーン感じることが多い作品ですね。

ネットでの評価は全体的に高い印象です。 村上春樹が好きな方、静かで文学的な映画に抵抗がない方にはおすすめできる映画ではないでしょうか。

最後までご覧いただきありがとうがさいました。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

  • ラストシーンのコメントで疑問が解けました。この作品はいろんな課題を提供しています。外国人差別や男女のあり方や個人肖像権やらそして個人的といえる問題の解決は?
    今の時代に誰もが抱えていることを自分で解決してゆかねばならないと。グローバル社会だからわかりあわないといけないのでしょう。やはり村上春樹は今年こそノーベル文学賞受賞ですね!

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