出典元matome.naver.jp

田村がいたら優勝できていた!

92年を語る時、通過儀礼の如くこの一言から始まる。

勝負に「たら」「れば」は禁句だが、「田村がいたら」と言いたくなるほど偉大な守護神だった。

もちろん、田村よりキレのある速いストレートを投げる投手は150キロ投げて当たり前の今となってはいっぱいいる。

阪神でも藤川球児、ジェフ、久保田、オスンファン、ドリスと速い球を投げる。

しかし、自分の中では田村より凄い抑えは未だに出てきていないし、これからも出てこないかも知れない(これは思い出補正もある)

田村は左投げで、横から投げるサイドスロー。

当時、横手投げの投手と言えば、ふわっとした山なりのストレートを投げる投手ばかりでした。

でも、田村は違った。

キャッチャーミットまで一直線!

MAX146キロのストレートだが、右バッターに対するインコースのクロスファイヤーは150キロ以上に見えた。

まあ左投手のストレートはテレビで見ていて、テレビカメラの位置の関係で基本的に速く見えるんやけどね。

それに加え、2ストライクに追いこむまでのカーブも、まるで打者をおちょくっているようだった。

田村は左のサイドスローなのでセオリー通りなら右打者は苦手なはずなんだけど、右バッターも翻弄するほどの威力のある球だった。

元巨人・デーブ大久保も「田村は打てる気がしなかった」と語っている。

球の威力はもちろんだが、フォームもカッコよかった。

セットアップの状態から構えて、脚をスッと静かに上げたかと思うと、そこから打者に背を向ける形から横手でシュッと投げ込むので、打者はボールの出所が見えなくて、三振取られた後の「えっ!?」っていうリアクションをするのが痛快だった。

百聞は一見に如かず!リンクを貼っておくので暇なら動画を見て欲しい⇒youtube.com

ちなみにこの映像は92年のオフに関西テレビが深夜の1~4時ぐらいで「阪神の132試合総集編」と題して特集を組んだ番組の映像ですよ。

僕も録画して、シーズオフは見まくってましたよ。

話は戻って田村の酷使がハンパなく、わずか約3か月で戦線離脱・・・。

当時は今と違って8.9回の回跨ぎなんて当たり前で、先発と同じぐらいのイニングを投げていた。

その証拠に92年の防御率のタイトルを受賞したのは、セリーグは大洋の中継ぎをしていた盛田(2.05)、パリーグは近鉄の抑え・赤堀(1.80)なのだ!

1イニング限定で大事に起用しておけば、と思う。

怪我から復帰後の96.97年も最初は多くて1イニングしか投げなかったけど、最後の方は普通に回跨ぎしてたぞ!

見ている方も、田村が出てくるとまた怪我しないか心配だった。

で、97年に怪我を再発してしまい2000年に自由契約となったのですが、この辺の記憶は曖昧です。

でもいいんです。田村は92年のあの強烈な記憶さえ残っていれば。

とにかく本当に記録以上に記憶に残る選手でした。

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田村を甲子園で見た思い出


出典元ryosuke-takeuchi.com

田村は、一度だけ甲子園に観戦した時に見たことがある。

確か怪我から本格復帰し出した96年か97年だったと思う。

対中日戦だった。

8回裏が終わった時点で1点リード。

当然、9回は田村が守護神として登板した。

が、

同点ホームランを打たれてしまう(*_*;

中日のバッターは誰だったかは覚えてない。

あ~、とガッカリしたけど9回裏でサヨナラ犠牲フライで無事勝利した。

打たれはしたけど、チームが勝ったから良いやあと思っていたな。

田村は外野席から見るより、テレビでじっくり見た方が良いという結論に至ったのでした。

田村勤の現在は?

田村は02年に現役引退後、大阪経済大学野球部コーチをしていたのですが、2005年からは動画でもあるように、田村整骨院を営んでいます。

僕は行った事ありませんが、この記事読んでいて通院した事があるって人いたらコメントで教えて下さいね。

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92年の阪神について

92年と言うと阪神球団としては転換期でした。

何故かと言うと、甲子園のラッキーゾーンが撤去されたのがこの年でした。

当時の中村勝広監督は休場の広さを活かした「守りの野球」を掲げてチーム作りをします。


出典元bbcrix.com

コーチには、星野監督の名参謀で有名な嶋野育夫氏を招へい。


出典元iwasky.blog.so-net.ne.jp

また外国人野手は大洋からパチョレックを獲得した。

当時から他球団の外国人をゲットするのが癖だったんですよ。

中村阪神は見事に守りのチームとなります。

チーム防御率はなんと2.90と12球団でトップ!

守備も今と違って良かった。

捕手 山田
一塁 パチョレック
二塁 和田
三塁 オマリー
遊撃手 久慈
左翼 八木
中堅 新庄
右翼 亀山

特に穴がない。

強いて言うなら、久慈の肩が弱いくらい。

外野なんて、新庄がいるから最強レベルかも知れない。

しかし試合前の新庄の守備練習は見ていて本当に楽しかった。

投手も先発はマイク仲田、中込、湯舟、野田の4本柱がしっかりしていた。

「阪神は最初だけ。いづれ最下位に落ちるで」

という声の通り、6月に7連敗して貯金も尽き果てて「あ~、やっぱり」という感じになったけど
そこから持ち直してBクラスに転落しなかった。

8月の長期ロードも数年ぶりの勝ち越し!

9月には7連勝して2位のヤクルトと最大2.5ゲーム差まで離して、ついに優勝か!?という事まできた。

と、ここまで良かったんだけど、9月の7連勝後にまた約2週間ほどのロードとなりました。

そこからチームの状態は悪くなってきます。

具体的に何が悪かったのかと言うと・・・全部かな。

打線、投手、経験不足・・・。

特に打線の不調が目立った。

一方、優勝を争っていたヤクルトは強力打線だったから余計にそう思った。

3.古田
4.広澤
5.ハウエル
6.池山

広澤以外の3人は全員30本以上、ホームラン打っており阪神とは大違いの打線だった。

これがきっかけで打線の弱さを解消すべく92年オフから球団が動き出すんですが、これが暗黒時代となった原因なのです(これに関しては、また記事にしたいと考えてます)

阪神は困った時のベテラン頼りという事で、4番岡田などの起用をしたりするのですが、立て直す事が出来ず。

131試合目、甲子園でのヤクルト戦で優勝を奪われたのです。

甲子園中央で胴上げされるヤクルト野村監督。


出典元sanspo.com

そのヤクルトの選手に対して阪神ファンは帰れコール!

帰れコールなんかやっても負け犬の遠吠え。

自分もこの試合、実は甲子園に姉と行ったんです。

ひょっとしたら当日券が買えるかも?と思って始発に乗って行ったんですが、阪神梅田駅に着いた時点で甲子園のチケットは売り切れのアナウンス・・・。

あえなく帰宅、帰りの電車内で電車酔いしてしまって姉にえらい迷惑かけてしまった。

帰ってテレビで試合を見てたけど、試合後は悔しくてトイレで泣いたなあ(笑)

今、思えば泣く事はないやろうと思うんやけど、まだ13歳やったし我ながら青かったなw

次は悔し涙じゃなくて、優勝して歓喜の涙を流したい!

今回は長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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